2023年1月10日2023年1月10日 ぱちんこ業界で”発信し続ける”ということを 〈卵が先か、鶏が先か〉の話にもなりますが、アリストテレスの時代まで遡る必要すらなく私たちは、〈人間は社会的な動物である〉ということを知っています。 身分や職業などの区別なく人間誰しも必ず拘束されているのが時間と空間で、これが生物的な限界として表出しているものである一方で、社会や環境また印象(見られ方、思われ方)によって輪郭を成している存在としての自己というものも在ります。 社会は人間が形づくったものであるのに、その社会から人間が存在定義されてしまうというのは皮肉にも感じますが、それを上手い具合いに利用することで、現実的な観点ではどうにもこうにも不可能に近かったことが実現できてしまうという特殊な状況を創り出すことが可能になったりします。その手段のひとつがSNSです。 SNS上では、実社会にあっては何者でもない個人がスターや有力者として扱われたり、本来遣り取りをすることすら不可能な相手と繋がることが出来たりしますが、現実世界の影響力と違うのは、ひとたび好印象・高評価が崩れてしまうと、たちどころに力を失ってしまう場合があるという点です。 文章や動画というかたちで時間をかけて取り繕って編集した完成品を公開することで「デキそうな人」「良さそうな人」という評価を得ても、実際に会ってみると大したことがない人物というのはたくさん居ます。 また教訓という観点では、発信という手段で評価を得た者であるなら、飛行船のように膨らんだ世の中的な評価に自分自身の中身を詰め込んでいってただの虚勢にならぬようにしなければなりませんし、或いは常に謙虚に振る舞ってつまらぬことで炎上して墜落することのようないように発信者としてのリスクヘッジを図らねばならない場合もあるでしょう。 もちろんSNSが、新聞やTVなど既存のメディアの影響力や現実世界の人間関係をすらも完全に喰ってしまっていると考えると、信用が失墜してしまったりひどく顰蹙を買った自分をそのままネタにすることで懲りずにSNS上で再起を窺えばいいじゃないか、という考え方も成り立ちます。 またそれ以前に、自分にまつわるあらゆることがお金や力に換わるのであればそれを以て成功とする、という捉え方もあります。そういった意味では、現代の錬金術は賢者の石ではなくSNSを触媒としています。 発信力や影響力というものを語る際に人によってかなり違いがあるのは、己の生き方における「美醜」や「善悪」といった概念です。 他者を貶めるのは嫌だ、セキュリティブロックされていて然るべきものを晒すのは法令がどうのよりも自分の正義にもとる、そういう損得とは別のところに厳然として在る価値観みたいなものを大切にしている人ほど短期的には損をし長期的には得をする、そういう場面をたくさん見てきましたが、ぱちんこ業界においてもこれは当てはまることだと述べて本稿を締めます。 関連 DIARY