2023年1月17日2023年1月17日 ワンパターン、様式美、大衆 私の管理店舗には、週に4~5日、21時前後になると裏口的な扱いの出入り口からひっそりと来店して、ミドルタイプ機で諭吉1本勝負(この言葉にも撤去期限が迫っています)をしていく年配客がいます。 私の目から見るとオスイチ名人で1万個くらいは頻繁に獲得している強者ですが、ホールに出ているタイミングで計数を担当すると「久しぶりに勝ったよ」「これでトントンだもんなぁ…」などと言い、ノーヒットで退店するところに出くわすと「今日も負けたよ!」と文句を言ってくる試合巧者です。 機種仕様の細かいことはわかっておらず、いわゆる一種二種混合機だと「いつ、どこで抽選しているかわからない」「演出の切り替わりが早すぎて、何が起こっているのかわからない」とボヤいていますが、それでも通い続けることができるくらいの収支にはなっているようなので、投資金額や遊技時間、止め時といった自制が効く人なんだなというのが窺い知れます。 この年配客と話していて思うことは、遊技に際して、自分にとっての従来的な”定番”が崩れて、戸惑っている、ということです。それは、言葉の節々に表れています。 たとえば「奇数当たりなのにRUSHに入らなかった」「ほとんど全部が赤演出で最後に金色になったのに外れた」「普段あまり見かけない女の子が出てきたのに外れた」「ボタンが出っ張って激アツとか言ったのに外れた」「確変(実際には時短)なのに早く終わってしまう」といったことは、ぱちんこ業界人や職業的に稼動している客層からすれば”当たり前”のことですが、役物抽選機やドット・セグ機が主流の80年代~90年代前半を経てCR麻雀物語で3インチ液晶が搭載されて、その後は現金機が姿を消していく2000年代前半期から6インチ液晶時代に入りデジパチがパチンココーナーのメイン機の座を搔っ攫っていまに至るという流れを体験している古参のユーザー層にとっては、飽和するほどに演出が多く画面上の変化も目まぐるしいので、付いて行けない(のに、どうにかこうにか頑張って遊技している)のでしょう。 思えばドラム機などはロングリーチに発展したり始動・停止のタイミングが少しズレただけでアツかったですし、液晶時代に入った初期は各機種ごとに身を乗り出して見守る演出パターンがひとつふたつあってそれらの多くは打ち手の期待に応えてくれました。 それがいまでは、どれだけ演出が絡んでも最初に保留変化していなかったのでダメとか最終局面でカットインしなかったからダメとか、業界人の立場でホール巡回中に見掛けても「これは酷だな…」という場面が多々あります。 また”確変=楽しい時間”と考えるのが当たり前だったのが、消化時間効率が悪いとかダルいとかスピード感がないなどという意見の方が主流になってしまっていたりもします。 では、こういった風な従来的な”当たり前の崩壊”や”パターンの陳腐化”という現象が他の産業界でも起こったことがあるのだろうかと考えてみると、ちょうど時代劇やヤクザ(任侠)映画に例を見ることができそうです。 TV番組における時代劇では、民草を思う君主や義賊のような主人公が巨悪を懲らしめるというストーリーが通底し、だいたい同じ時間帯に同じ舞台装置(印籠、桜吹雪、BGMなど)が発動してクライマックスを迎え、市井にあって声は小さく力は弱くとも正しく慎ましく生きている者が最後に報われます。 またヤクザ(任侠)映画では、資本家などの持てる者が金と権力を振るい港湾・土木労働者たちを虐げ、もう我慢がならないという臨界点で一人或いはその相棒との二名で殴り込みをかけるというドラマツルギーがあります。現実世界で彼らと同じような立場にあると自分でそう思っている者、これは安保闘争に燃える大学生だったり高度経済成長で林立するビルの日陰で汗かいたブルーカラーだったり社会からドロップアウトしたり参加できていないと感じている者だったりするわけですが、その時代の書き物に触れると、どれだけお決まりのパターンであっても観客は毎度銀幕に拍手喝采を送り、ある種のカタルシスを得て映画館を出ていったと記述されています。 云わば、当たり前とは安心感を換言したもので、ワンパターンとは大衆への訴求のためにわかり易く仕上げたプロットであり、つまりは”様式美”へと昇華した形式なのだと解釈できそうです。 その様式美が魅力や支持を失ったのは何故かと考えると、同じかたちの中で微妙な変化を生み出し視聴者や観客を惹き付けることができる同世代のスターがいなくなったことや、潔癖なまでに健全化した時代がその様式美自体に目くじらを立てるようになったからと言え、また別の観点では代替となり得る或いはそれ以上のクオリティを持った娯楽により安価・手軽に接することができる社会になったからなのかもしれません。 身も蓋もない話では、観客であった大衆の価値観が変容した、時間やお金の使い方、生活における優先順位が変わった、それによって需要が減退したとも推察できます。 では、パチンコの場合はどうなのか? 電子機器としての性能は飛躍的に向上しましたが、これまでメイン客層としてホールで一喜一憂してくれていた会社員層や年配層が日頃から通うための遊技資金や時間が無くなった、敢えてそれらを”賭けて”遊技するだけのホール環境(=機種運用レベル)ではなくなってしまったというのが、いま多くの店舗のパチンココーナーで起こっていると推察される”ホール目線ではそれなりの機種構成と運用水準なのに、肝心の遊技客が居ない”という現象なのかもしれません。 特に機種運用レベルに関しては、ホールにとっては精一杯でも一般客にとっては物足りない=納得して勝ち負けに興じることができないという状況で、私見では、パチンコ専門の遊技人口は早晩もう一段下の水準まで低下する可能性を感じていると述べて本稿を締めます。 関連 DIARY
復活おめでとうございます。 納得して、どころか妥協ラインにも縁遠い調整。 それを「パチ屋も商売、お客様は分かってくれる」と狂った甘えで見て見ぬふりのホール。 腐のスパイラルから抜ける日は来るのか。 キリコQP 返信
私に敢えて言わせるフリですね(笑) 事情通のキリコさんには、わざわざ回答するまでもないでしょう ①ライトタイプ、ライトミドルタイプにおいて全国データ分析上はこれ以上運用レベルを下げられないところまで来ているが、下げる店は続出してそれが釘の状態に現出 ※軽い確率帯という価値を提供しているのだから遊べるような運用レベルまでは提供する必要がない(実際には余裕がない)という店舗が大多数になる ②スマパチを業界団体(21世紀会※実際の音頭取り&警察庁の顔色伺い主体=日工組)として導入推進していく旨の発信がなされると経営意欲を失う(=廃業視野)店舗が続出して更に機種運用レベルが低下する こんな感じですね ユーザーにとって時間粗利ではもう少し厳しくなる可能性があると推察しますが、ショボい店の廃業で「全国」データ上では「良化」するという不思議な現象もあり得るかと思います まあ、キリコさん自ら、書いて下さった方が良いかと思います 返信