2022年12月21日2022年12月24日 天才冨樫と地獄少女 私はPとある科学の超電磁砲が好きでよく遊ぶのですが、まともな個数を出したことがいままで2回しかありません。とにかく継続しないので、己の引きの弱さを呪うばかりです。 最初に「とある」のパチンコ機が出ますよと聞いたときに、アニメとゲーム関係にはとことん疎い私は「地獄少女みたいなものか?」と営業マンに聞いたのを覚えています。 なぜ地獄少女のタイトル名を出したのかというと、キャラクターやストーリーがどうのというよりは、「あのアニメがパチンコに!?」という具合いに最初は注目されるが、その後どうせかなり早いスパンで第二作・第三作と作られていって原作ファンも初代ファンも離れてどんどん陳腐化していく流れになるだろうな、という気持ちを総合的に込めた結果そうなったという感じです。 さて、その地獄少女ですが、リーチ演出でかなり悲惨な過去を背負っている様子が見てとれ、軽く調べてみると安土桃山時代の小さな村の「人身御供」だったとわかりました。 より詳しくは、豊作祈願のため山の神に捧げられた、とあります。その後、親族の手によって密かに救出されて生き延びるも、そのせいで村は凶作に見舞われたのだと責任追及され、結果的には生き埋めにされ強い憎悪を抱きながら落命したとのことでした。 こういうのは、文化人類学や民俗学の領域では実際に事例がある話です。人身御供をパターン化すると、 ①神の許しや加護を乞い願うための供物(必ずしも死ぬのではなく、大蛇などの異類と婚姻関係を結び人外として生きるという場合もあり) ②大規模工事などによって自然に干渉する際の生贄 ③祭祀の儀式における何かしらの「しるし」 ……これら三つが挙げられるかと思います。 つまりここで「生贄」と「人柱」の二つに性質が分かれることになりますが、個人的に面白味があるなと思うのは後者の方です。全国各地の伝承には、特に水害を鎮めるためにお坊さんや村の誰かが犠牲になったというものや、堤防・橋・堀などの工事の際にそれらがより堅固なものになるように人柱が立てられた、という内容のものがたくさん見受けられるからです。 このような伝承の根っこには、人の霊魂自体、或いは願いや怨念が建造物に宿って作用する、という考え方があります。 人柱として生き埋めにされた人物は漫画『ハンター×ハンター』でいうところの死後に強まる念をその土地や該当する建造物に付与し、村落などの共同体はその念を利用する、という構図です。 たとえば、村の境界をなす場合が多い堤防や橋の建設時に人柱が立てられたのは、そこから外敵や厄災が侵入して来ないようにするためであり、いわばそれは村落内において「ここまでやった堤防・橋なのだから、破られる・崩壊することなどないのだ」という幻想として機能し共有されることになります。 地獄少女の場合は、まず始めに山の神への捧げものとして選ばれ、その際あるまじきこととして生きて帰ってしまったので生き埋めにされ死亡するという流れですが、前者は人身御供として成立しますが後者は両親共々そのようにされていることから単なる殺人行為或いは以後そのようなことがないようにという残虐な「見せしめ」の意味しかないように思います。 それ故、霊魂や怨念が何かに宿ったりはせず漂うことになり、同じように強い恨みを持っている生者の呼び掛けに応える存在になったのだと解釈できるのではないかと述べて、本稿を締めようかと思います。 関連 DIARY