2023年1月19日2023年1月19日 博戯と賭事 先日タイムラインを眺めていたら、久しぶりに「賭博」の文字が普段よりも多く目につきました。 まとめサイトさんやぱちんこ業界メディア関係の方々と相互フォロー関係にあるからでしょうが、そのツイートのひとつに、ぱちんこは刑法の賭博に該当する(そして、但し書きにおいて違法性を阻却されている)、という主旨のものがありました。 ぱちんこ業界人の中でも記事を書くような立場の者にとっては、だいたいは過去に何度か書いているので敢えて掘り下げたりする話題ではないのですが、たまには私もこの手の題材で、尚且つまた別の視点で雑記でも書いてみようかと思った次第です。 きっかけを下さったのは交流があるタナカさんのツイートです。このような場ではありますが、御礼申し上げます。 さて改めて、この賭博という文言ですが、国民の相互関係を対象とする法規(私法といいます)の中では、刑法185条以外には登場しません。なので歴史を遡って、この意味するところをどうにか解釈するほかないわけですが、参考になりそうなものとして明治時代の民法典が挙げられます。 ここに射幸契約の一種として「博戯」と「賭事」という文言が見られます。それぞれ普通に「ばくぎ」「とじ」と変換しても表示されないので、旧時代の用語ということになります。 ではそれらがどのような行為を指していたのかというと、まず博戯は勝負事が場面として想定されていて、その結果によって敗者から勝者に財物が移動する契約のことです。補足すると、勝ち負けを争うにあたって結果に対して双方が直接的に関わることができる、影響を及ぼすことが可能である、技量差が発生し得る、ということになります。 具体例だと、アスリートがスポーツ競技で勝負することになり、その勝敗について当事者間で一定の財物を支払う取り決めがなされた場合が想定されます。 次に賭事ですが、これはある事象においてどのような結果を生じるのか異なる意見を持つ者同士が当否を争い、外れた者から当たった者に財物が移動する契約のことです。補足すると、結果に対して双方とも直接的に関与するのは不可能で、要は、どうなるか見守るしかない性質のものといえます。 具体例だと、アスリートがスポーツ競技で勝負することになり、観戦者たちがその結果について賭けをした場合が想定されます。 ここでそれぞれの文字面に注目すると、博戯と賭事から賭博という文言が成り立っていることがわかり、またそれらの内容を混ぜ合わせたものが、多くの人がなんとなくイメージする賭博の内容ということになっていると思います。 ではぱちんこはどうかというと、社会の様々な弊害を生み出しているという見方や国家はなぜこれをいまだに合法としているのかという視座で語る人が現れると、いくらこちらが法令上真っ当な言葉で返しても納得してもらうことは難しく、不毛な遣り取りに終始しがちなので、このような軽い書き物の場では突っ込んだ話は致しません。 当否を抽選しているのは機械(直接的に結果に関与できない)で、その機械を動作させるにあたっては手動で行う(技量差が発生する)わけですから、先ほど述べた博戯と賭事の内容の共通点から最大公約数をとったような遊技としてパチンコスロットは成立しています。 更にその遊技の結果生じた玉・メダル数量に相当する「賞品」を提供してよいのがぱちんこ屋であり、その賞品=遊技客の私物をどうするかは本人が決めることで、どこかに売却したとしても自由な経済活動の一環ですから人がどうこういうことではありません。 しかしながらやはり、多種多様に取り揃えられた賞品の中で最も人気がある賞品が、世の中の一般的な商品と同様に流通しているものなのかどうか?そういったことを考え出すと手厳しいツッコミが待っているというのも事実であり…… おっと、誰か来たようです。 ちょうど眠くなってきたので、皆さんおやすみなさい。 関連 DIARY