2023年3月2日 ゴメンな、西陣 2023年、3月1日。 西陣は、その歴史に幕を下ろした。 1951年に産声を上げたパチンコメーカーが、創業から72年目にして永遠の眠りにつく決断を自らに下したのだ…。公に発せられた文面には、重く『廃業』の2文字がクッキリと刻まれており、飾ったり取り繕ったりすることのないそのワードを目の当たりにした時、オレは取り返しのつかない現実をあらためて痛感させられた。 かつて、最も輝きを放ったこのメーカーの財産といえば、何と言っても『役モノ設計の技術とセンス』であろう。むろん、デジパチにも『CR花満開』や『春一番』のような名機と呼べる台も多くあったが、同業他社からのリスペクトを一身に集めるほどのウリは、やはり『役モノ』にこそあったと思う。 オレが初めて触れた西陣のパチンコ台…。それはたしか、最大継続8ラウンドの旧要件羽根モノ『魔界組』だったように思う。というのも、チェロスが生まれたり踏まれたりした街。その外れで、オレが赤ん坊の頃からずっとソコにあったパチンコ屋『梅島センター』に初めて入店した際、コイツが設置されていた記憶が鮮明に残っているからだ。ちなみにこの時が、自らの意思でオレがパチンコ店へと足を踏み入れた、記念すべき第一歩であった。 1989年に登場した『魔界組』は、大変バランスのよい遊びやすさに加え、明るいパステルカラーを基調としたデザインが、老若男女の誰からも等しく愛される人気機種だった。しかし、その日のオレは三共の初代『マジックカーペットⅡ(賞球数7&13のマジカペ)』になんとなく座り、パチンコが魅せる奇跡みたいな面白さにドスパーーーンと打ちのめされ、感動と興奮の処理が自分の中で追いつかなくなり、ひとまず「ああぁああッ!!」と叫びながらチャリンコフルスロットルでそのまま帰宅。で、翌日。ちょっと深呼吸したのち、なぜかサングラスをかけ、リトル浜省みたいな出で立ちで再度『梅島センター』へと足を運んだのである。 初日で、心をソッコー奪われた『マジカペ』へ迷わず座ると、やっぱコイツァとんでもなくスリリングでおもしれえッ!! しかしこの日は、1回目の来店時ほど持ち玉はホイホイ増えちゃくれなかった。で、さんざん粘った挙げ句、ついに持ち玉を全部ノマれた後、『マジカペ』から見える場所で怪しく光っていた『魔界組』のシマへと、オレは何かに呼ばれるかのように引き寄せられたのだ。 役モノ内を覗き込む。すると、中央を陣取る人形の見た目は、どう見たってキョ●シー。ピョンピョン飛び跳ねながら、夜の街を徘徊するあのアジア版ゾンビが、誰の許しも請わずソーキュートなパチンコ台に転生していた。現在でもそうだが、オレは怪しいモノを見ると猛烈にソソられる癖がある。今よりも版権に大らかな時代だったとはいえ、パチンコといういまだ未知なる世界の、法も人も恐れぬような喧嘩上等な立ち振る舞いに左脳がクラクラした。さっきまで魅了されてた『マジックカーペット』とは、また随分とムードが違った。でも、こんなツッコミどころまみれなヤツだったからこそ、世の中の酸い甘いも知らなかったクソ若造なオレでも、一切ビビることなく瞬時にハンドルを握ることができたのだ。 かつて、『日頃のストレス解消にパチンコを』なんて店内放送で流れていた時代もあった。今となっては、パチンコを打つ時にヒリつくことはあっても、ストレス解消と感じる側面は随分と薄れてしまったように思う。あの頃は、どうしてパチンコがストレス解消なんかになり得たのか…? それは、どんなお堅い人生を送ってる人でも、どんなヘヴィーな悩みを抱えてる人でも、玉を上皿に置いてハンドルを握ってる間だけは、神様からバカになることを許されたからだと思う。成人となって世間の波へ飛び込んだが最後、残酷なまでにシビアな世界がどこまでも広がるオレたち人間にとって、バカになれる時間ってのは貴重なひとときだったのだろう。『パチンコ』という娯楽が、本来担っていたそんな重要な役割を思うにつけ、プレイヤーが目の前の台のことをバカにしても許される、どっかで見たような西陣マシンの遊び心に満ち過ぎたツッコミどころって、じつはものすごく大切だったんちゃうかと思うんすよ…。 そういった意味じゃ『魔界組』は、ことホールの中においてはセンスのカタマリのような羽根モノだった。しかも、ポップなその見た目だけじゃなく、肝心カナメなゲーム性の方もすこぶる高かった。飾りっ気のないステージへ落ちた玉は、わかりやすい軌道で振り分けられると思いきや、『JUMP』と書かれた謎の可動板によって命を授けられたかのように暴れた。予測できないコースで、時に下段ステージのド真ん中をストレートに、時に横の壁にブツかりながら斜めへと、重力まかせの銀玉の運命をもてあそぶようにすら見えた。 そして、何よりも心が躍ったのは、役モノ中央のキョ●シー人形。V入賞後は、ソイツがまっすぐ前へ伸ばした2本の手の間に、ちょうど玉1個分のスペースが生まれた。そんな小さな小さな隙間で、拍手喝采したくなるぐらい上手に彼は銀玉をキャッチした。そして、映画さながらのジャンプをイメージした動作で、打ち手の方へ飛び出してきた彼は、手の中の玉をVゾーンめがけ上手に放り投げてくれたのだ。それは同時に、私生活の中で多くの打ち手が秘めていた、心の隙間にもピッタリと収まった。 中には、脱臼したみたく肩がズレてるノーコンキョ●シーもいたけれど、そんなヤツに「クソがッ!!」と心の中で罵声を浴びせている自分も、オトナの仲間入りができたような気がして心地よかった。もっとガキの頃、友達の家で夢中になってたファミコンじゃ、ここまでアツくなることはなかった。「コレがオトナのゲームってヤツか…」と、ワケ知り顔で思ったりもした。こうして、西陣が全国へと放った豊富な役モノたちは、普通に生きてりゃ9割方の時間、退屈な日常を送るばかりだったオレたちに、かけがえのない『浮世離れした時間』をプレゼントしてくれたのである。 『マジックカーペット』と『魔界組』。 まったく毛色の違うゲーム性の、しかし『羽根モノ』という同じジャンルで括られた2機種のパチンコ台を順番に味わった時…。少年だったオレは、あの決まりきったサイズの四角い枠の中に、深くて濃ゆい世界が潜んでいると本能的に感じたのだろう。だから、もっと知りたくなった。もっと見てみたくなった。その衝動を際限なく突き詰めていったら、気付いたらオレは、パチンコライターという職業に収まっていた。 オレの人生の道を舗装し、矢印のついた立て看板までおっ立てた存在。 その重要なひとカケラが、令和という時代の中で蒸発し、消えていく…。 「ありがとう」なんて言葉じゃ、しっくりこない。 アレコレと思案に暮れていたら………あ、わかった。 ゴメンな、西陣。 今のオレがかけられる言葉は、完全にコレだった。 寄稿者 貴方野チェロス 氏 業界内では『比較的ちゃんと書くライター』みたく言われてきたものの、20年以上もやってりゃ飽きてきて、書くのをサボってた期間が長すぎたパチ&スロライター歴26年。 このたび、『概ね垂直ラボ』というネーミングを目にした我が細胞が「SO COOL!!」と叫んだため、パチやらスロやら諸々について気が向いたら書くとする。 パチ&スロ実機、たくさん所有。もう何台やらわからんし、知りたくもない。 どうぞよろしくお願いします。 Twitter:@cheross_anatano 関連 貴方野チェロス氏