2023年8月12日2023年8月12日 平岡とニューオオネ様の物語② ~ブルーシートの向こう側 こんにちはこんばんは。平岡です。 前回は、かつて「東の雄」と呼ばれたレア台の聖地【ニューオオネ】様に、平岡がどのようにたどり着き、そしてレア台が無くなりお客様のいなくなった後も何故、通うことにしたのかという導入部を書かせていただきました。本日は、その続きになります。まだ①をお目通し頂けていない方は、ぜひコチラからお目通し頂けますと幸いです。 そんなわけで。続きから参ります!!(なお、文字数割愛の都合、ニューオオネ様の呼び方はここから「オオネ」とさせて頂きますことを、ご了承ください) 2019年12月のラスト4日はあんなに鉄火場だったのに、年が明けた1月2日の並びは、平岡も入れてわずか3人というお客様の激減ぶり。それもそのはず。かつて設置されていた全120台のうち、稼動できなくなったみなし機は90台もあったのです。年が明けて動かせる台はわずか30台。 しかも、ある意味どこのホールでも打つことの出来る30台だったわけで。そうなると、今までのように「遠征してでも打ちたい」と来店していたお客様の足が否が応でも遠のくわけです。 また、交換率は7枚交換で、店内の設備もお世辞にも新しいとは言えません。オオネ名物の「夜勤病棟ポスター」がお出迎えしてくれるお手洗いは店外設置ですし、サンドは千円札のみ対応でお隣と仲良く使う懐かしいタイプ。椅子も高さの調整ができない。そして、すぐお近くには、某〇コーナさんもありました。 今まではその条件であってもも「行きたい」と思わせる集客の糧としていた武器が、もう一切使えなくなってしまったのです。しいて言うならば、瓶コーラの自販機があることが魅力の一つか。 そりゃあ、お客様も来なくなるよね…と、認めたくはないけど納得せずにはいられない状況でした。 それでも「4号機から5号機へ移行の時の危機を乗り越えたように、今回もきっと復活するはず。だってオオネだからね」と。 オオネへ行ったことのある方でこの言葉を耳にされた方は多くいらっしゃると思いますが、「合言葉ですか?」って思えるくらいに何故か「オオネだから大丈夫!」と、実際に廃業してしまうその時まで、ずっとお客様の間で言われ続けた言葉でした。 そんな近い未来に復活するであろう軌跡を己の目で見届けたくて、休日になると寒い中でも平岡はオオネへ足を運びます。雪が降って交通機関の麻痺を恐れ、行くことを断念した日もありましたが、2020年の1月18日はオオネで20年務められた「1号さん」と呼ばれた店員さんが、カウンターでとても丁寧にリールを磨いていたことが思い出されます。 オオネの開店時間は9時オープンでしたが閉店時間が決まっておらず、お客様の入りや店内の出玉の状況で毎日閉店時間が変わりました。早いときは18時閉店。どんなに遅くても21時前には閉店になりました。お店が開いている限り、店員さんに肩を叩かれるその時まで打ちたい平岡にとっては、お店が早く閉まってくれた方がある意味助かり(帰りの電車の時間がありますからね(笑))、いつも追い出されるように最後まで打ち散らかしては帰宅していたのでありました。 この日の夕方、1号さんに声をかけに行ったら「打つなら打っておいた方がいいよ。今日は18時に閉めるって店長が言っていたからね」なんて言われて。そりゃあ大変。と、また席に戻る平岡。 ちなみに、店内に残された30台の現役5号機たち。オオネに通うという熱意はあれども、平岡が実際に打ちたいと思える機種が実はほとんど残っていませんでした。ジャグラーやニューパル等のグッズはたくさん店内にあふれているのに台としての設置がなく、平岡が普段打っている機種がこの時のオオネには、ほとんど残されていなかったのです。 ですが、そんな中でこの台に目が留まりました。その後の平岡の代名詞にもなる、パイオニア様の「ニューシオサイ」が2台設置されていたのです。もともとハナ好きで、ニューシオサイも他のお店でも散々打ち込んだ大好きな機種でした。 この時から5号機がすべて撤去となり、ニューシオサイがオオネから無くなるその日まで(最後は全国で設置台数が5台となり、狙わずしてガチのレア台になっていました)、ひたすらこのニューシオサイを打ち続けることになります。 いくらお店を応援したいと言っても、打てたらなんでもいいというわけにはいきません。勝てば楽しいのは勿論のことですが、例え負けたとしても楽しかったと言えるような台を打ちたい。そこは、長年スロットをたしなむ身として譲れぬポイントでもありました。 2020年2月8日。朝から閉店までおりましたが、お客はこの日も平岡一人でした。店長から、肉まんと景品のコーヒーを頂きました。また、いつものオシボリも渡されます。 オオネのおしぼりはめちゃくちゃ最高に良く、ピンクと青色の立派な布のおしぼりでして、店内のパチスロ台の横に設置されていた洗濯機で洗濯されていて、とても良い香りがしてあったかくて。 その肉まんとおしぼりの温かさが染みて、ガラガラの店内でニューシオサイを打ちながら泣きそうになりました。 この日の初当たりはそこそこ早かったものの、2発目のボーナスでストレートに680ゲームはまり、店長に「今日も負けそう!」と愚痴ったら、その後から連荘して2000枚オーバー。珍しく…本当に珍しく、平岡がニューシオサイで出せた日でした(笑)ですが、出せて嬉しいけど、お客は私しかいないのに出して申し訳なく思ってしまった日でもあったのです。 2月14日のバレンタインデーは、その日にシフトが入っていない店員さんの分までチョコレートを持って意気揚々と参戦。残念なことにこの日の稼動結果は全く覚えていないのですが、大学卒業間近で2月でお店を辞めるバイト君にもチョコを渡せてよかったな~ってことだけ覚えています。まあ、稼動結果を忘れているってことは、きっと負けたのでしょうね(笑) また、この頃でしょうか。この件の記憶は、曖昧で申し訳ありません。オオネで稼動していた90台のみなし機が「愛ある方の手元で余生を過ごせるように」と、ネットオークションに順次出されます。ホールがオークションに出すというのは本当はダメらしいことを後から知るのですが、個人店様だったためグレーな感じだったのかな~と。 私も打たせて頂いたたくさんのレア台達が、全国へ第二の人生…台生?を余生を過ごすためにオークションで落札されて、この後、全国に散っていったのです。そのオークションが開始したのも1月後半~2月にかけてだったように記憶しております。 しかも凄いことに、その後に友人の影響を受けて平岡も家スロを所有するようになり、家スロ大会にも参加するようになって、オオネ産のこの時の台を所有された方たちと家スロ大会でお会いすることになるのです。「その台、平岡も触った台です!!平岡の手あかがついています!!」と嬉しくない宣言をする始末。ですが、そんな繋がる未来を、この時は想像もしておりませんでした。 2020年3月。山佐様の新台「ケロット4」が、オオネで珍しく3台も導入されます。こりゃあめでたい!!打たないわけにはいかないよね、と、3月14日に打ちに行きました。 友人に言われました。 「ケロット4は別にレア台でもないしどこでも打てるのに、なんでわざわざ交換率の悪いオオネまで行って打つ必要があるの?」と。 オオネの店長は、いつもおっしゃっていました。パチスロは当たらないと面白くないと。設定を入れるからこそ、その分交換率を下げている、と。でも、その分設定は他店より甘くしているのだと。とても想いの強い店長様で、平岡も同じスタンスでもありました。そりゃあ、パチスロってやつは等価交換のお店で設定6を打てるのが一番良いのですけど、土日稼働の兼業スロッターの身。なかなかそんなお店や台にたどり着けないわけです。それなら、多少交換率が悪かったとしても「低設定を打つリスクを、極力回避できる」そんなお店で打って、設定推測して設定にワンチャン!!と期待できる打ち方が平岡の性格には合っていました。 実際にみなし機があった頃も確定演出が出ている報告も良く耳にしており、設定が使われている信頼と実績もあったのです。やはり、どうしてもお金のかかる世界ですので「好き」だけでは通えない。オオネの営業方針は、オオネに通いたい平岡にうまくマッチした方針だったわけです。 まあ、多くは勝たなくて良いけれども楽しみたくもあるので、投資分は回収できて交換ギャップ分はお店にお布施!! くらいで楽しめたらいいかな~という感覚でした。 この日も、お客様はまばらで腰を据えて打ったのは平岡だけでした。ケロット4 を打ちつつホッパーエラー。メダル補給を待ちながら店内を見渡します。かつて3島あった島の1つがブルーシートで封鎖されていました。 「店長、あの向こう側。見てもいいですか?」 平岡的にはちょっとした興味で。そんなに深い意味もなく聞いてみて、笑顔で店長はオッケーしてくれて、何の気なしにそのシートをめくり。衝撃が走り、その場に立ち尽くしました。 そこで目にしたのは、かつて全国から来たお客様にたくさん愛され、あんなにキラキラ輝いていた主役たちの眠る姿でした。役目を終えて、そこで忘れられたようにひっそりと静かに眠っていたのです。涙が自然と零れ落ちました。 (今まで多くの人に、たくさんの思い出をありがとう。 この姿を私は絶対に忘れない!!) 泣きながら席に戻る、明らかに変人な平岡。そこで流れるケロットの液晶の映像とボーナスの音楽がまた優しくて。余計に心が震えたのでありました。 ですが、この2020年の上期は。世の中的に不穏な空気が蔓延します。そう、コロナ禍の到来です。 それでもこの時はまだ、平岡は県を跨いでオオネに通っていたのですが、会社からついに「不要不急以外での越県禁止」令が出てしまうのです。さすがに、趣味のために会社に逆らって万が一のことがあったら責任を負えない。全力で遊ぶことが出来るのも、生活の基盤があってこそ。 3月14日に行った日を最後に数か月、断腸の思いでオオネへ通うことを断念したのでありました。 ③へ続く→ 寄稿者 平岡みゆき 氏 漫画雑誌パニック7で漫画原案・コラム「丸の内OLのキラキラカチ盛り日記」連載中。 美容とパッスロと街の小さな老舗ホール様を愛する丸の内OL・会社員スロッター 漫画家あぎじゅんこ先生に原作提供&取材協力 代表作「パチスロ徒然日記」(竹書房/スーパーパチスロ777(現在休刊)) 「読切り設定1000」他 Blog:平岡幸(ひらおかみゆき)の東京OL~パチスロ日記 Twitter:https://twitter.com/miyupon_777 関連 平岡みゆき 氏
こんばんは!拝読いたしました。 ニューオオネ様の闘いを平岡様の目を通じ知ることができ。 私もパチンコ店員だった端くれ、平岡様のように思って下さるお客様の存在がどれほどに最後まで戦い抜くためにニューオオネ様にとっての支えになっただろうと想像し震えております…。 ①も拝見しておりまして、続きが気になっており立ち寄りましたが…。 最後まで拝読するのも…こちらもそれなりの覚悟を持ち臨まねば…と襟を正しております次第でございます…。 閉店していったホール様、特に中小のホール様にはそれぞれの闘いがあったことでしょう…。 読み進めるたびに、自分の経験した闘いにも自然と思いが馳せ…。 胸が締め付けられるように思いますが、最後まで、貴重な体験をおすそ分け頂けますと幸いでございます。 貴重な体験をありがとうございます。 次回も襟を正してお待ちしております! 返信
>福岡の片田舎の元パチンコ店員様 お返事が大変遅くなり、申し訳ありませんでした。 まずはとても嬉しいお言葉の数々に、心からの感謝申し上げます。 >閉店していったホール様、特に中小のホール様にはそれぞれの闘いがあったことでしょう…。 こちらのお言葉に、私も込み上げるものがありました。この数年で、娯楽文化として愛された本当にたくさんの中小ホール様がお店を畳まれました。 差別化出来ていた特徴のあるホール様は、ほぼなくなったと言っても過言ではなくなっており、ますますニューオオネ様の記録を…こんなホール様が実在したのだと記録に残すのが私の役目だと僭越ながら考えて、大変僭越ながらに記事を連載で書かせて頂いております。 思いの丈をすべて余すことなく記事に残したいと思います。ニューオオネ様だけではなく、戦い抜いたたくさんの中小ホール様へハナムケの思いを込めて。 本当にありがとうございました。どうか、ゴールするまで引き続き見守ってやってください。 返信