2023年7月29日2023年7月29日 平岡とニューオオネ様の物語①~プロローグ こんにちは。平岡です。平岡はかつて片道2時間半近くをかけて通っていた、小さな街の小さなホールがありました。 そのホールは全国でも『レア台の聖地』として名を馳せておりましたが、5号機のみなし機撤去と同時にお客様が完全に飛んでしまい、その後は客足が戻ることはなく2022年6月30日に、43年の歴史に終止符を打ち閉店となりました。 そんな話をセブニキ氏とした時に『そもそも何故、そんなに遠い所に通っていたのか?』という極めて当然のご質問を受けまして (笑)。少し長くなる気もしますが、今まで平岡がなぜ、ニューオオネ様に6号機時代になってもこんなに親善大使のように通っていたかを言葉にしたことがなかったため、そんな話を今回は綴っていこうと思います。 長くなったら続編に…ってか、この話をし始めたら確実に長くなると思われますので、何作か続くと思われます。何卒お付き合いのの程、お願いいたします。 そんなわけで。今は無き小さな街の小さなホール様のお話。『ニューオオネと平岡の物語~プロローグ』はじまりはじまり~♬(今回は文字数多めで長いです) 平岡はもともと、お仕事で大学卒業後に札幌から本州に就職で出稼ぎに来ました。関東に来る前は名古屋、和歌山、大阪、そして名古屋に住んでいましたが、転勤で2016年に東京に異動となります。 そんな転勤後のある日のお仕事帰り、営業先の駅前で見つけた香ばしいスロ専のお店に何気なく足を踏み入れたことから、この物語は始まります。 千葉県船橋駅の裏路地にあった小さなお店。そのお店のそのまた一番奥の島の一角に、その台は静かにヒッソリとたたずんでいたのです。その台はそう。 『パチスロ1枚がけ せみ』 最初に見つけた時は「なんだこりゃぁ~!!」と胸が高鳴ったことを今でも思い出すことができます。実に衝撃的な台でした。その日はその子を夢中で打って、帰宅後にその台について調べました。 なんと、全国でも設置台が「2台」という、スーパー激レア台だったのです。そして、その時のもう1つの店舗として出てきたのが、まさに神奈川県秦野市にある「ニューオオネ」様で、平岡はなにげなーくニューオオネ様のラインナップを見て愕然とします。 パチスロ専門店で全120台。小さなホール様であることが伺えるものの。世の中から全滅したと勝手に思っていた5号機初期の台、やもう二度と打つことはできないと思っていた台の数々が燦然と並んでいたのです。 初代エヴァンゲリオン、初代スカイラブ、2027、どんまいちゅ~吉、ひまわりパラダイス、ナースウィッチ小麦ちゃん、桃太郎電鉄、アクアビーナス、マジハロ2、キンバリー、ハイサイ蝶特急、イルカ夫人、バリスタゴルフ、格闘美神ウーロン、ハーレムエース2、リラックマ、悪魔城ドラキュラ、ダイナマイトリターンズ、魔法少女アルス、プレイボーイ、頑固一徹、エイリヤンビギンズ、月華の剣士外伝~あかりと七つの妖珠~、リオパラダイス、シスクエ2、アニマルPB、機動戦艦ナデシコ、夜勤病棟、パチってスロット、鬼神7、SOLAR7、チェリーパラダイス、がんばれ満月姫、慚愧尽きるまで私は戦う、恐怖新聞~第二章~、ワニワニパニック 等々 今、そうした名機の数々をこうして打ち込んでいるだけでも、このラインナップの凄さに鳥肌が立ちました。そんで、この時にまだ業界のルール等を全然理解していなかった平岡は困惑します。 「え? パチスロって検定が切れたら、全撤去されるもんじゃないの?」と。 この頃の私は、いわゆる「みなし機」というグレーゾーンの台の存在を知らなかったのです。もう二度とホールで打つことが出来ないと思っていた機種の数々を、まだ現役で打つことができるということに大きな衝撃を受けたのでありました。その流れで5号機初期のすべての機種を調べます。 「設置店舗数1台」以上の台の設置店を片っ端から探していったのです。そうしましたらば、神奈川県まで足を運ばずとも、都内でレア台を多く設置しているお店何店舗かにたどり着きました。グリーンピース様(池袋店、新宿店、吉祥寺店)を筆頭に、平岡でも行くことが出来そうな距離のお店です。そのためまずは、近場でこれらの絶滅危惧種を打ちに行こうと思ったのであります。 それまでの平岡は、あくまで「設定が入りそうなお店」を選んで、ガチで勝つためにホールを選ぶスタイルでしたが、この時に初めて、設定は不問でそこにあるそのたった「1台」を打つための、絶滅危惧種打ちを始めたのでありました。 2016年8月8日。抽選を受けて初めて朝からレア台を打ったその機種はそう。池袋のTOHO池袋店様にて、かの名機「アクアビーナス」でした。 この後は、時々絶滅危惧種を打ちに行く生活をしておりましたが、徐々に近場で打てるお店が減っていきます。また、近場ではすでに打つことができなくなった某台をどうしても打ちたい衝動に駆られ、現役のうちに…と、ついに神奈川へ足を運ぶことにしたのでありました。 この機種というのが、みんな大好き潜水艦!!(笑) 「2027」だったのであります。この時点で、全国での設置店は当時「西の雄」と呼ばれた西のレア台の聖地、大阪のアルファ様とニューオオネ様の2店舗のみ。2019年8月18日。初めて小田急線に乗り、東海大学前駅に降り立ったのでありました。 ただでさえ遠い道のりの上、神奈川県のお店のため9時オープンです。めちゃくちゃ早起きして浮き足立ちながら電車に乗り、どんどん自然豊かになる車窓に想いを馳せてお店に向かったあの日のことを、今でも思い出すことが出来ます。 ですが、電車の乗り換えを間違え開店に間に合わず。半泣きで5分遅れ位で店内に駆け込みます。駅を降り、小さな路地を通ってたどり着いた小さなお店。特徴的な外観にまずは驚きます。 そして「この扉から、中に入っていいのか?」と、ドキドキしながら重たいガラスの手動扉を開けて飛び込んできたその景色たるや。一瞬、自分の周りの時間が止まったように感じ、息を飲みました。香ばしい内装に、ホールから消えたと思っていた、二度と会いえないと思っていた台がリアルホール様で並んでいる景色。 ですが、そんなことをしている場合ではなく。2027を探しに行きます。店内にはそれなりに既にお客様はいたのですが、ラッキーなことにこの日の2027は空いており、台を確保すると同時に、あまりのお宝台が並ぶ店内の撮影をしに行ったのでありました(笑) 普段はお昼に食べたご飯も忘れるザル頭の平岡ですが、この時のことは今でもこうして鮮明に思い出されて文字に起こすことが出来るのが不思議です。まぁ、思い出補正もあるのでしょうね。 そんな、初めて足を運んだのが2019年の8月18日。実は運命のXdayまで、残りわずか4か月とちょっとというタイミングでしたが、この時はまさかわずか4か月後にそれらのみなし機が全撤去になるとは想像もせずに目を輝かせて打ち倒し、この後も片道2時間以上かかる道のりに足を運んだのでありました。 ですが、その年の12月に衝撃のニュースが走りました。上野のサイバースパーク様で12月半ばに、営業時間内に一斉にみなし機の電源を落とされるという出来事が起きたのです。 このニュースを耳にした時に、一番に「しまった!!」と思ったことを思い出します。お記憶に残っている方ならすぐにお気づきかもしれませんが、5号機のみなし機が全国的に一斉に撤去されたのが2019年12月31日。(一部、大阪は1月6日頃まで設置されていたお店もあったように記憶しております) 「やばい。ニューオオネ様のみなし機撤去も、きっともう間もなくだ」と。実際に、その後約10日ほどで撤去となったのでありました。 2019年12月のラスト4日は、それはそれは多くの人がニューオオネに並びました。平岡が最後に参戦したのが12月30日。始発電車に乗って8時前にたどり着くも、すでに30人は並んでいます。店内は全120台。打ちたい台を打つことは難しそうですが、何らかの台を取ることは出来るだろうと。手にしたホッカイロを揉み揉みしながら、並ぶ人を眺めつつ安堵します。そして思うのです。 「あ~、これが本当の絶滅危惧種の本当の絶滅を見届ける瞬間なのか」と。 なんで、もっともっとニューオオネ様に早く来なかったのかと。なぜもっともっともっと通わなかったのかと。一番輝いていた頃のニューオオネ様との思い出は、平岡はわずか4か月ちょっとしかなかったのです。 ですが運命のいたずらか。パチスロも神様が微笑んでくれたのか。前の人の並びが30人ほどいたにも関わらず、平岡が最後に打つことが出来た機種はなんと。ニューオオネ様でも屈指の人気台でもあり、平岡の絶滅危惧種打ちのスタートとなったあの「アクアビーナス」だったのです。なんかですねぇ、勝ち負けではなくて心が震えましたねぇ。ありがとうって言葉しか出てこなくて、自分でも馬鹿だと思うんですけどBIGを引いてボーナスの曲を聴いたら勝手に涙が流れて、お隣のリラックマに癒されつつ泣きながら打っていました(笑) そんでですね、ほんとの最終日は行くことができませんでしたが、年が明けて1月2日の寒い日に、みなし機が打てなくなった後のニューオオネ様に向かったんですね。かつては「東の雄」と、全国に名を馳せたお店だし。いくらみなし機がなくなったとはいえ、お客さんはある程度いるかなって。そうしたらば、ラストのあの鉄火場4連戦が嘘のような年明けで。開店時のお客様は平岡を含めてわずか3名だったのです。 あぁ、そうかと。そりゃそうだよな、と。このお店はレア台があるから、お客様が来ていてくれていたわけで。レア台がなくなったら、わざわざ遠いお店に足を運ぶ必要はないもんな、と。どうしてもお金がかかる遊びだもの。どこでも打てる台しかなくなったのなら、そりゃあ近所のお店に行くよね、交換率の良いお店に行くよねと。 その後、1月中に何度か足を運びました。ただでさえ寒い季節です。お客様は全然増えませんでした。朝から閉店までいて、お客は平岡1人という日もありました。店員のお兄さんが、リールを綺麗に磨いていました。パチンコ屋さんであるにも関わらず、穏やかな穏やかな時間でした。 雪が降った日は、2代目の店長から差し入れにと肉まんとコーヒーを頂きました。嬉しくて切なくて、肉まんを食べながらガラガラの店内を見渡しながら、ニューシオサイを打っていました。店内に流れる有線放送が、やけにはっきり聞こえていたことを思い出します。 そこで平岡は思ったのです。平岡は東京に来て新たなライフワークとして、絶滅危惧種打ちを楽しませてもらった。消えようとしている台たちの最後の声を、少しでもその台が好きだった皆様にお伝えしようと打ちに行き、ブログに残して写真を配信し、東京での生活の生き甲斐を与えてくれました。 ニューオオネ様に通った期間は短かったかもしれませんが、最後の期間を共にし、ニューオオネ様からもたくさんの思い出を頂き、心の故郷を探し求めていた平岡にとってニューオオネという存在は「平岡のアイデンティティ」と言っても過言ではない存在となっていました。 また、実はかつて4号機が撤去された後もニューオオネ様は同じようにお客様が飛んでしまったという事実があったそうですが、その後に復活を遂げたという話も佐々木真先生にも聞いていたため、きっとまた復活するに違いないと勝手に信じて疑わなかったということもありました。 ならば、今は世の中から忘れ去られようとしていたとしても、ニューオオネ様に通って、来たるべき日のために平岡がその復活するまでの道程を記録に残そうと思ったのでありました。平岡一人に出来ることなんて皆無に等しいし、おこがましいこともわかってはいましたが、せめて平岡がこの後にどう復活するのかを見届けようと心に誓ったのです。 こうして、お客様が飛んだ後からむしろ足しげく通うようになった平岡と、ニューオオネ様との本当の物語がここから始まったのであります。 以上、今回はここまで。プロローグのくせに長かったのですがご容赦くださいませ。まずは背景を説明する必要があるため、なんならプロローグが一番長いと思われます。汗 次回はニューオオネ様が本当の閉店前に、一回目の閉店してしまうまでのお話をお伝えしようかと思います。今回もここまでお付き合い頂きありがとうございました!! 連日の酷暑、皆様もどうかご自愛くださいませ。 平岡みゆき 拝 寄稿者 平岡みゆき 氏 漫画雑誌パニック7で漫画原案・コラム「丸の内OLのキラキラカチ盛り日記」連載中。 美容とパッスロと街の小さな老舗ホール様を愛する丸の内OL・会社員スロッター 漫画家あぎじゅんこ先生に原作提供&取材協力 代表作「パチスロ徒然日記」(竹書房/スーパーパチスロ777(現在休刊)) 「読切り設定1000」他 Blog:平岡幸(ひらおかみゆき)の東京OL~パチスロ日記 Twitter:https://twitter.com/miyupon_777 関連 平岡みゆき 氏