2022年12月21日2022年12月24日 カタルシスを語るっす 元々は別領域の用語だったものを新たに採用し、それが時代を経て定着するというのは多々見受けられることです。有名なものだと、「カタルシス」なんかは、その一例です。カッコいい訳を充てると、「魂の浄化・解放感・高揚感」を示すような文脈で使われていますね。 とんねるずのヒット曲『一番偉い人へ』では、都会のラッシュアワーや行列の中に溶け込んでしまっている自分を「死んでいる」と表現し、嫌われようがなんだろうが自分を取り戻すために「俺は俺だ」と苛立ちながらも叫び続けることでカタルシスを感じています。 なんのこっちゃ、サッパリわからん!という方は、大人気漫画『ワンピース』の頂上決戦編でコビーがやったことを思い浮かべて下さい。あれも一種のカタルシスです。 この用語は元々、古代ギリシャ語で「浄化」や「排出」を意味していました。共同体の掟を破ったり犯罪者になった者が所定の儀礼を経ることで社会に復帰することや、医療現場で毒物を取り除いたり汚染された部位を洗浄するような治療法のことを指したようです。 これを、かの有名なアリストテレスが『詩学』の中で用いたことで、その後演劇の「悲劇」というジャンルの用語として定着していくことになりました。 この『詩学』の中で、具体的にどのように使われているかを掻い摘んで説明すると、過去に起こった大きな物語を、叙述(=作文・朗読すること)ではなく行為(=体を動かして演技すること)によって再現したのが悲劇であり、そこでは憐みや恐怖・畏怖を表現することで「感情の浄化」が達成される……こんな感じになります。 ここで解釈が分かれるのは、感情がブワッと外に排出されてスッキリするだけなのか、それともどうもしっくりこなかった感情が変容して落ち着くのか、ということです。 どちらかひとつを指すのか、両方なのか、ケースバイケースなのか、これについてアリストテレスに質問すると、たぶん「そんなもんはケースバイケースだ、てめぇで勝手に解釈しろ」と応えると思います。 ちなみに私は、パチンコスロットを打っていてヤバいくらい突っ込んでしまって、もうアカンと絶望しているところに天井で当たって投資分がそっくりそのまま跳ね返って来たり、800回転くらいハマっていて「これが最初で最後のチャンスだ」と思いながら見守った演出で当たって10,000個くらい出ると、勝とうが負けようが「ああ、これでいいんだ、報われた」という気持ちになります。 自分が遊技機へと打ち込んだ玉・メダルが一気に排出されたような、深く沈殿した暗い感情が浄化されたような、そんな気持ちになります。だからまた、懲りずに打ち込んでしまうわけです。 関連 DIARY