2022年12月21日2022年12月24日 イグアナの孤独 社会と折り合いを付けることが困難で生き辛さを感じている人というのはいつの時代も沢山居るわけですが、それは貧・富、先進・後進、都市・地方といった「対比」が色濃く反映されるような場面で残酷なほどの様相を呈します。 誰からも顧みられず愛されたこともなく常に疎外されているように感じている、そのため自分という存在を自分自身が認められない、そういった文字通り独りぼっちの個人は、自死を選んだり、自暴自棄の結果として犯罪に走ったりといった風に、社会や周囲と適切な距離感で関係性を構築し維持し続けることができなくなったりもします。 現代の日本がまさにそのような場なのかもしれませんが、いや可処分所得は減っているけど物もサービスも安く手に入るし高望みしなければ生命の危険は諸外国よりも低く長寿という恩恵を享受できるわけだから日本はそんなにひどい国ではない、という見方もあるかと思います。ここらへんは価値観の問題にもなるので割愛します。 で、菅野美穂です。何年か前にダウンタウンの年末番組を観ていたらとても弾けた演技を披露していて、ああ久し振りに彼女を見掛けたがいまも芸能界の最前線でやっているんだなと、妙な感慨を覚えた記憶があります。 月亭方正が「ホホホイ、ホホホイ」というココリコ遠藤章造のギャグをやっていて、それに続いて彼女も全力でホホホイをやっており、恥ずかしがる素振りを一切見せないそのパフォーマンスに私はいたく感じ入りました。 その彼女の出世作といえば、お馴染み『イグアナの娘』です。 母親から愛されない苦しみと親子の確執を描いた話題作でしたが、なんでまたイグアナなのかと自分なりに解釈すると、20世紀中盤に活躍した劇作家テネシー・ウィリアムズが抱いていた問題意識や、彼が表現しようと試みていた人間の生き辛さや大勢の中で感じる孤独などが、イグアナというかたちになって偶然にも時代と国を超えてリンクしたのだと考えます。 ウィリアムズ作品で有名なものを列挙すると、『欲望という名の列車』『焼けたトタン屋根の上の猫』『ガラスの動物園』『この夏突然に』『地上の王国』などがあり、その中のひとつに『イグアナの夜』というものがあり映画にもなっています。 この作品は姦淫によって落ちぶれた元牧師と二人の女性との恋愛劇を描いたものですが、「生まれながらにして善良でまともな者もいるが、そうあろうと苦しみながら戦って生きている者も尊敬に値するのだ」というセリフが出て来ます。 舞台はメキシコで、ここではイグアナを繋いで飼育し太らせてから食べるのだという説明がなされますが、繋がれたイグアナを人間に見立てているという解釈の他に、弱い自分を硬い皮膚で防御し内的に孤独に生きているのが現代人だ、というような解釈も可能かと思います。 さすがに冬場になると、天候不良の日が続いています。 自宅で過ごす暇な時間が多いという人は、菅野美穂の方でもテネシー・ウィリアムズの方でもどちらでも構いませんので、是非ご覧下さればと思います。 関連 DIARY