2022年12月21日2022年12月24日 jukeboxとsugarcaneと氷室京介 夜中にひとり資料整理や書き物をしていると、だいたいは1時間くらいでちょっと休みたくなりその際「心の琴線に触れる」ような音楽を聴きたくなるものです。 それは田舎で過ごしていた高校生の頃にCD・MDウォークマンのイヤホンから流れて来てうまく説明するのは難しいのだけれど毎日なんだかつまらないなーダルいなーなどと思って過ごしている自分に自転車のペダルを強く速く漕ぐための力を与えてくれたものだったり、一度くらい背広でも着てみるかと軽い気持ちでサラリーマンになってはみたもののノルマに追われてどうにもこれはマズい世界に足を踏み入れてしまったなどと思いながら外回り営業中に公園のベンチで口ずさんだ懐かしいあの曲だったりするわけですが、私の場合は大学時代に同年代の連中と飲んで騒いで過ごしていた駒込の夜に誰かの部屋で聴いた曲のことを思い出します。 斎藤さんの部屋ではミッシェル、清野君の部屋ではブランキーやナンバーガール、彩人君の部屋では彼独特のチョイスで様々なジャンルの最新の楽曲が夜ごと爆音で流れていて、私はそういうものを無節操に全身で浴びながら酔っぱらって寝て、気付いたらもう9時過ぎで1限の講義には間に合わないからじゃあパチンコスロットでも打ちに行くか、みたいな毎日を過ごしていました。 その中のひとつに、R.E.M.の『Imitation Of Life』があります。 すっかり気に入ってしまったので何か機会があればいろんな場面で聴いていたのですが、たとえば駒込からバイクですぐに移動できる距離の王子駅前のビリヤード場でジュークBOXに100円玉を投げ込んで、意味不明ながらも音の響きが妙に格好良い歌詞と都市の片隅に気だるく漂うようなメロディーラインをBGMにして玉撞きに興じていたものです。 そこに登場するワードはハリウッドであったりシナモンであったりするわけですが、特に私の心を捉えたのはサトウキビ(Sugarcane)でした。 何かひとつ引っ掛かると、それが契機となって、普段はただ移ろい過ぎていくだけの世の中の様々な物事の中から、その時々の心情に応じたものが浮かび上がるように五感を刺激して「形を成す」ことがあります。ひとつの原因物が樹木の枝葉のようにして連想を広げていきます。 そういった意味では、心の中にいかにしてこの「切っ掛け」を持つかということに、精神が健康で居られるかどうかが懸かっているのだともいえます。 たとえばImitation Of Lifeのサトウキビは私に、BOØWYの『JUSTY』を連想させます。氷室京介はここに、退屈過ぎる黄昏時はボナンザグラム片手にちょっと気取って微笑むのだと書いているからです。 ボナンザグラムは射幸心をくすぐるネーミングをしたラム酒の銘柄で、ボナンザ(Bonanza)とはスペイン語で思いがけない幸運・偶然掘り当てた鉱脈・繁栄のことを意味しています。 最近全国のホールにお目見えしたスロット6.5号機のBOØWYは残念ながらヒット機と呼べるようなデータにはなりませんでしたが、私は実はまだプライベート遊技していないので、そのうち時間を作って軽く回してみようかと考えておるところです(絶対に打たないフラグ成立)。 関連 DIARY