2023年5月30日2023年5月30日 パチスロ女子の初打ちが香ばしかったワケ。 こんにちは。平岡みゆきです。 前回の自己紹介記事『小冊子コレクション』編では、多数の反響を頂きありがとうございました!!その中で『平岡さんのパチスロ初打ち機種が何故香ばしい機種だったかも知りたいです』というリクエストを頂戴しました。ありがとうございます!! それゆえ。本日は『平岡の香ばしい初打ち機種と、それがもたらしたその後の人生への影響』をテーマにお話しさせて頂ければと存じます。いわば、アタオカスロ垢女子のパチスロ史とでも申しましょうか。なんて。堅苦しい書き出しになりましたが、内容は実にライトなものですので、お昼休憩のお供にでもお目通し頂けたら幸いです。 さてさて。時を巻き戻しますは200X年。まだ平岡がピッチピチのぷりっぷりだった、うら若き時代のことです。平岡は大学時代までを札幌で過ごし、就職により名古屋に出稼ぎで参りました。実はそれまではパチンコ屋さんには一度も立ち入ったことがなく、親からは『パチンコ屋ってのはヤ◯ザが出入りする悪い大人が行く場所だ』と教えられて育った、純粋培養な大学生でした。まさか未来に自分がライフワークとしてその場所にどっぷりと関わることになるとは、社会人をスタートしたばかりのヒヨッコ平岡は一ミリも想像していなかったわけです。 ですが。人生のターニングポイント。平岡に人生で初めて『彼氏』というものができました。この時の彼が、いわゆる『専業』で生活している人でした。この彼は高校時代から学ランを隠し、朝イチのホールに打ちに行っていたと言う生粋のスロッカス。ですが、平岡はそれはそれとしてパチンコ屋さんそのものには興味を示すこともなく、その方とお付き合いをして数ヶ月が過ぎたのでありました。 そんなある日の休日の昼下がり、自宅にいた平岡宛に彼から電話がかかって来ます。『悪いけど、今から言う店に急いで来てくれない?』 ナニゴトかと慌てて電車に乗り、タクシーに飛び乗って向かいましたらば(記憶は定かではありませんが、春日井市のどこかのお店だったと思います)辿り着いたのは、パチンコ屋さんの前。何をどうしていいかもわからず右往左往しながら『着いた』とメールをすると、ほどなくして扉が開きました。平岡にとっては初めてのパチンコ屋さんなのに、そのまま店内を見渡す暇もなくある台の前まで連れて行かれます。 彼『これを打って欲しいんだ』 平岡『え?え⁈ 打ってって…そもそも打ち方もわからないし…』 戸惑った私に、彼はおもむろに3万円渡してきました。 さ、さ、さんまんえん⁈ 彼『まずは3万円両替えしてきて』 えっっ⁈3万円を両替えって… 彼『そこに両替機があるから』 平岡『あ、はい』 起きてることの意味もわからず、言われるままにアタフタと両替えをしにいきました。社会人になりたてでお金もなく、お昼ご飯代も100円単位で切り詰めていたこの時の平岡にとっては、30枚の千円札の束はとんでもなく大金で、これから何が起こるのかも予想が付かず恐れ慄きながら席に戻りました。 平岡『私、一回も打ったことないから打ち方とか言われてもわかんないし…』 彼『そうだったね。ここ、右側のこの溝にまずはメダルを入れる。そのあとにこのMAXベットボタンを叩いて…』 今では目を瞑っていても息をするように出来る一連の所作を、平岡はこの時に初めて教わったのであります。 彼『わかった?それでさ、俺はあそこで打ってるから、ここが光ったら呼んで。光るまでは狙うところもないし、適当に打ってくれてたらいいから。ここが光ったら呼んでね』 『光ったら呼べ』と同じことを繰り返した後に、彼はその場を離れていきました。そこでようやく一息つき、周りを見回します。ガラス張りの店内は明るく太陽が差し込み、『パチンコ屋さんは薄暗いお店』とイメージしていた私の思い込みを払拭しました。また、私の周りの席は空席でお客様の数もまばらです。(思ったよりもパチンコ屋さんてのどかな雰囲気。この台は私を呼びつけて打つほどに何かあるのだろうか…この後はどうなってしまうのだろう?) パチスロの仕組みも何一つわかっていなかった当時の平岡。首を傾げながらも、人生初のパチスロをスタートしたのでありました。 そしたらば。とんでもないスピードで、千円札がなくなっていきます。 (嘘でしょう⁈パチスロって、こんなにすごいスピードでお金がなくなるものなの⁈) その時のわたくし。千円札のなくなる速さに怯え、平岡の小さな手には『30パイ』のメダルは扱いにくく、また、ポロポロと何度も何度もメダルをこぼしました。彼の説明を思い出します。 『この台はウラモノだけど、まだマイルドな方のウラモノで、千円札あたり21回も回るから。あと、足りなくなったらお金取りに来て。天井は2000だから』 (ウラモノって何??) (21回転回るからマイルド? それはマイルドなんですか?) (3万円もあるのに足りなくなるって、そんなことあるの??) 言われたことの意味をほとんど理解出来ぬままに、しばらく戸惑いながら必死にこぼれるメダルと格闘しつつ回しておりましたら、ついに光ったのです。アーチ型の筐体のど真ん中に、一際異彩を放ち鎮座していた紫色の蝶々『南国物語32ver.』の、あの神々しい(もはやウラモノで禍々しかったのかもしれない)蝶々が。 そこでやっと千円札をサンドにぶち込む動作も止まり、ホッと息をついて彼を呼びに行きました。これが、平岡のパチスロデビュー戦となったのでありました。笑 沖スロ&ウラモノ大国の名古屋だったからこそのデビュー戦かもしれませんが、やはり『付き合っていた人の影響』ってのが、女性のパチスロデビューあるあるNo.1なのではないでしょうか。ウラモノで天井2000回転とか、今の私ならお猿裸足で確実に逃避行します。全力猛ダッシュで逃避行します。知らぬが仏とは良く言ったものです。 そこから、土日になると彼についていって時々打つようになり、そのうち彼に内緒で仕事帰りにも打つようになります(笑)ど素人だった私ですが元来の凝り性な性格が災いし、複数のパチスロ雑誌をむさぼり読み漁り、台選びの仕方を彼に教わり、お店を回ってデータを見て廻るほどにのめり込んでいきます。おかげで仕事帰りにナイショで一人で打ちだした後も月単位では負けることもなく、見事にパチスロの沼に転がっていきました。 そして、そんな生活を3年もした頃、ついに平岡は仕事を辞めて『専業生活』を始めてしまうのです。 専業生活の3年の間、ひたすら打ち散らかす毎日。打つことが楽しくて早起きも閉店まで打ち切ることも苦ではなくて。気がつくと専業生活の3年間で1,500万円貯まりました。 ですが、専業生活中にパチスロの師匠と決別し、その後に専業生活からあがって社会に復帰するも、人生の立ち回りでしくじってしまい、そのパチスロ貯金1,500万円を全て失いまして、なんと無一文になります。あのときは『人生詰んだ』と、一瞬だけ人生のどん底にも落ちた気もしますが、この話はまた別の機会に(笑) ※この時の話は、別冊パニック7(ガイドワークス様)にて、漫画にもなりました! そんなわけで本日の結論は。 勢いのままに打つことになりました平岡のパチスロデビュー戦『南国物語32ver.』稼働は、『付き合った人の影響』で打ったという単純明快なものでしたが、その後は絵に描いたように見事に沼にはまり1,500万円貯めた末に立ち回りにしくじって全てを失うも、パチスロが変わらず大好きすぎて打ち続けたらパチスロ漫画の主人公になり、ついには楽太郎さんのところで記事を書かせて頂くようになったのでありました。『デビュー戦は、何の台ですか?』 『どんなきっかけでパチスロを初めて打ち始めましたか?』 パチンカー&スロッターでしたら誰の胸の中にでもある、この飽きることのない二大テーマ。これからも、出会った方のパチスロ史や人となりを知るテーマとして、私もいろんな方に伺ってみたいなぁと改めて思ったのでありました。 平岡みゆき 拝 寄稿者 平岡みゆき 氏 漫画雑誌パニック7で漫画原案・コラム担当「丸の内OLのキラキラカチ盛り日記」 美容とパッスロと小さな老舗ホール様を愛する丸の内OL会社員スロッター あぎじゅんこ先生に原作提供&取材協力 代表作「パチスロ徒然日記」(竹書房)「読切り設定1000」他 Blog:平岡幸(ひらおかみゆき)の東京OL~パチスロ日記 Twitter:https://twitter.com/miyupon_777 関連 平岡みゆき 氏
足長ドラえもんさま、こんにちは!! なんと。もしかしたら、同じお店でレバーを叩き合った仲かもしれませんね( ͡° ͜ʖ ͡°)笑 あの頃の名古屋は、ほんっとに鉄火場と呼ぶに相応しい熱気や活気に溢れておりました。 良くも悪くも雑然としていた、二度とは戻らぬ在りし日の思い出です。 返信