2023年1月1日2023年1月1日 兎の眼で2023年の曙光を望む 大気清々と澄みわたり新年の曙光煌々と満ち満ちる元日を迎え、とても心持ち良い一年のスタートとなりました。 私にとってはブログでは丸2年間、Twitterやオンラインサロンのような場では丸1年間の「冬眠」から文字通り目覚めたような朝になっています。2023年はリスタートの年となるでしょう。 新型コロナ禍で当社ホール事業部も大きな打撃を被り、そこからの立ち直りを期すべく楽太郎としての活動を休止し業務に注力して参りましたが、ひとつの区切りがついたことで公私ともに実に新鮮な気持ちで新規プロジェクトに臨もうとしております。 冬眠期間中も、かねてより交友がある多くの方々から日常的にご連絡がありその都度意見交換などさせていただき、また新たに知己を得たところから様々な刺激を得るなどしていたため、発信自体は休んでおりましたが楽太郎というぱちんこ業界人としては図らずもではありますがひとつ階段を上がって次のステップを窺う「踊り場」にあるように感じています。 もちろん、踊り場から動かねばそこが居場所になってしまいなんなら寝っ転がってしまって、なんだやはり楽太郎なんて者はもうとっくに終わった男じゃないかとか、芸がないつまらない一顧だにする価値すらないと見限られてもしまうでしょうから、そんな有様にはならぬようにと新米発信者の如くに目をギラギラさせて、それでも地に足を付けて実直な取り組みをしたいと身を引き締めておるところです。 〈一年の計は元旦にあり〉とはよく言いますが、これはある意味において事実であり、またある意味においてはひどく楽観的で無責任に過ぎる考え方です。 人間誰しも、常時気を張り目的意識を抱いて生きるのは、なかなかに難しいことです。 よしやってやろうと発起するも、ふと気付けばなんだいつもと同じ毎日を過ごしているじゃないか、春が終わって夏が来て秋に憂い冬に惑い、そうしたところに主体的ではなく外的な要因、カレンダー的な「リセット」が行われ、それを以て「心機一転」というのはどうにもこうにも都合が良すぎる話です。 まあ、必ずしもそういう無邪気さみたいなものが悪いわけではありませんが、自分自身の考え方、在り方、人との関わり方など自己に起因する多くの物事が変わっていないのに、プラグマティックな見方では単に時の経過を人為的に区切っただけの年末年始に、そこでおそらく自分が嫌う、うんざりもしている「いつもの自分」が「こうありたい、なりたい自分」へと転化すると考えるのはどうなのか? つまるところ、「自分自身」です。 自己の責任において判断・選択し、望む方へと歩を進め、それに見合うか見合わないかはわからないけれどその時々において結果に向き合う、その連続です。 人生の多くを他人に影響され続けている、自由で居られない、不満を抱えている、そういう人はとても沢山居るように思います。 灰谷健次郎『兎の眼』に曰く、〈人間が美しくあるために抵抗を〉。これは決して「仕返し」のようなものではありません。 他意に流されず圧迫されず、一時の誘惑・私欲に負けず、自分の人生を自ら美しゅうする、そのような「意志」のことを示しています。 年頭にあたり私自身が、またいつも私に関わって下さる皆さんが、強い意志を持って、それでも窮屈な思いをせずに「いい感じ」に息抜きをしながら、毎日を有意義に過ごせる年になればいいなと思いつつ2023年の初稿とさせていただきます。 関連 DIARY