2022年12月29日2023年1月1日 フレンチブルドッグは歩けない 私はブリンドルのフレンチブルドッグと一緒に暮らしています。 ブリンドルという世間的にはいまひとつ聞き慣れないワードは同犬種のオーソドックスな毛色である「黒地に別の差し色が入った毛色」のことを指しており、彼女の場合はビロードのような光沢がある黒に落ち着いた茶色が少しだけ混じっています。ブリンドルには遺伝子的に身体が丈夫な個体が多いのが特徴で、優性色という位置付けがされているとのことでした。 今回は少しだけ、彼女のことについて書いてみようかと思います。 私のブログを最初期から読んで下さっている方には懐かしいことかもしれませんが、最初に作ったブログのURLには「jyavit」という文字列が入っていました。これが彼女の名前です。 雌犬なので本来は「a」で終わる女性名詞にすべきですが、読売巨人軍・ジャイアンツ贔屓ということでそのマスコットキャラクターであるジャビットから拝借しました。 フレンチブルドッグの特徴のひとつに、突如として「スイッチ」が入る、というものがあります。この状態になると彼女の場合は、エネルギーを使い果たすか予期せぬ出来事で驚いて我に返ったりふとテンションが下降するまで走り続けるのですが、自宅リビングのフローリング床には暴走のせいで傷だらけになっている場所が沢山あります。 3歳になった春、早朝6時くらいにスイッチが入り、ソファから飛び降りて4本の脚でバランスよく着地しました。そしてすぐに振り返って、どうだ!とでも言わんばかりの表情で私の顔を見たのですが、それが彼女が「普通の犬」と同じように立って歩く姿をみた最後になりました。 フレンチブルドッグという犬種は品種改良の長い歴史を経て作られてきたのですが、その弊害で背骨が変形している個体が大多数です。彼女もそうで、おそらくはこのときの大ジャンプが原因で腰の辺りの骨がズレてしまい、神経が圧迫されたことによって重度のヘルニアになってしまいました。 自宅近所にあるペットクリニックでは治療が不可能で、当時はまだ少なかった犬猫の高度医療施設に文字通り担ぎ込むことになりました。紹介されたのは川崎にある日本動物高度医療センターで、獣医師の間では「ジャーメック」と呼ばれているとのことでした。これは「Japan Animal Referral Medical Center (略称 JARMeC)」から来ています。 大手術の末どうにか一命をとりとめ、刺激に対する反射以外では太ももから下を自分で動かすことができなくなりましたが、1週間ほど入院して退院する頃には笑顔が戻っていました。圧迫された神経の状態によっては呼吸器に影響が出て死んでしまう患畜もいるとのことでしたので、取り敢えずはホッとしたのですが、それと同時にもうスイッチが入って暴れまわる姿を見ることができないのだと思うと、とても悲しい気持ちになりました。 落ち込む私の様子を見て、手術を担当してくれた桑原先生がかけてくれた言葉は、その声色から口調まで、いまでも鮮明に覚えています。 「あのとき失敗したなぁとか辛かったなあとか、ワンちゃんはそんな風に過去を振り返ったりはしません」 「両脚が動かないくらいで、悲観なんかしません」 「それなりに、楽しんで生きるものなんです」 「だから飼い主の方が、過度に落ち込んだりとかはしないで下さい」 「どうか、目いっぱい可愛がってあげて下さい」 十全ではなくても、それなりに楽しんで生きる。 彼女はまさにそのようにして生きて来て、気付いたらもうフレンチブルドッグの平均寿命とされる14歳になりました。特に寝起きのときなど、だいぶ耳は遠くなりましたが、それ以外の身体機能はまだまだ若いなあと思わされることが多く、食欲も旺盛で水もよく飲み力強く吠えます。 前脚で立って移動することはできますが、麻痺の箇所がお尻から足先にかけてだったので自力でオシッコを出すことが出来ず、1日に3~4回くらいの頻度で私が膀胱の辺りを押して搾ってあげるのが日課になっています。専門用語だと、圧迫排尿といいます。これすらも、愛犬と触れ合う機会が健常なワンちゃん家庭よりも少し多いのだ、くらいに考えれば苦ではありません。 私もまた、それなりに楽しんで生きるというこの言葉を、自分自身の様々な境遇において援用するようにしてきました。 すると、上手くいかないことすらも、それはそれで変化が出ていいじゃないかとか、これは面白い展開になったぞとか、本当の意味で前向きに暮らし、働き、人と関わることが出来るようになったように思います。 2022年も残りあと2日となり、今年を振り返りながらこの記事を書いていますが、麻痺という障害を抱えて生きる犬の世話をしながらずっとやって来て、本当の意味で救われたのは私自身なのかもしれないと、そう思うに至った次第です。 関連 DIARY